2014年01月31日
2人の偉業
<スターキャットでは1月28日(火)~2月10日(月)「越原記念館」を放送
月~金よる8時/土・日あさ9時スターキャットチャンネルをご覧ください>
<ここまでのブログのあらすじ>
越原記念館は大正から昭和にかけて名古屋で活躍した
越原春子と越原和夫妻ゆかりのものや歴史的資料を展示してる。
番組では資料館を紹介しながら2人偉業にせまる!
さて今日からは2人の偉業にせまります。
まずは春子先生。
なんと「名古屋帯」を創案したんです!!
当時の女性には仕事がたくさんありました。
現代と比較にならないほどの量の「家事」です。
そこで春子先生は少しでも
月~金よる8時/土・日あさ9時スターキャットチャンネルをご覧ください>
<ここまでのブログのあらすじ>
越原記念館は大正から昭和にかけて名古屋で活躍した
越原春子と越原和夫妻ゆかりのものや歴史的資料を展示してる。
番組では資料館を紹介しながら2人偉業にせまる!
さて今日からは2人の偉業にせまります。
まずは春子先生。
なんと「名古屋帯」を創案したんです!!
当時の女性には仕事がたくさんありました。
現代と比較にならないほどの量の「家事」です。
そこで春子先生は少しでも
女性に勉強する時間を作ろうと
簡単に装着できる帯を創案。
着物を着る方にはご理解いただけると思いますが
名古屋帯は比較的簡単に装着することが出来ます。
デパートの営業マンと組んで商品化
全国に広まっていくことになります。
今でも着用される方が多いと聞きます。
さらに春子先生は
最初から結んだ形が出来ていて
巻くだけという付け帯も考え出します。
当時の女性は和服だったので
衣服を身に着けるだけで大変だったんですねぇ。
それにしても発想がスゴイですね。
何百年と使われてきて誰も問題を感じなかったものに
疑問をもって改良する・・・
やはり凡人ではありませんね。
「越原記念館」のこぼれ話 第5話
簡単に装着できる帯を創案。
着物を着る方にはご理解いただけると思いますが
名古屋帯は比較的簡単に装着することが出来ます。
デパートの営業マンと組んで商品化
全国に広まっていくことになります。
今でも着用される方が多いと聞きます。
さらに春子先生は
最初から結んだ形が出来ていて
巻くだけという付け帯も考え出します。
当時の女性は和服だったので
衣服を身に着けるだけで大変だったんですねぇ。
それにしても発想がスゴイですね。
何百年と使われてきて誰も問題を感じなかったものに
疑問をもって改良する・・・
やはり凡人ではありませんね。
「越原記念館」のこぼれ話 第5話
、、って勝手に連載みたいにしちゃいましたが。。どうぞっっ!!
2014年01月30日
2人の愛
<スターキャットでは1月28日(火)~2月10日(月)「越原記念館」を放送
月~金よる8時/土・日あさ9時スターキャットチャンネルをご覧ください>
<ここまでのブログのあらすじ>
越原記念館は大正から昭和にかけて名古屋で活躍した
越原春子と越原和夫妻ゆかりのものや歴史的資料を展示してる。
番組では資料館を紹介しながら2人偉業にせまる!
さて、今日も春子先生と和(やまと)先生のお話
実は2人は親戚です。
隣村(現在の中津川市)に生まれた和先生は
早稲田大学在学中に春子先生と結婚します。
大正4年には2人で現在の名古屋市東区に女学校を設立します。
春子先生は早くから教育を志しました。
15歳で寺子屋で裁縫の教師となります。
お父様の反対で教師を辞めてしまいますが
独学で勉強を続けます。
この独学というのが「通信教育」なんです!
ここでお見せするお写真はありませんが
是非記念館へお越しください。
当時の通信教育の教科書が残っています。
和先生のお姉さんが名古屋で学校を設立するのに際しては
教師としてお手伝い!
どうしても教師になる夢をあきらめられなかったんですね。
そしてとうとう、自らも学校を設立してしまうんですねぇ。
何か生命力というか
あくなきチャレンジ精神というか
「生きてるなぁ」…って強いものを感じますね!
最初反対していたお父様も
いざ「やる」となると
村から生徒を募って送ったり、
資金面でも力になったりと親の愛を感じさせてくれます。
ドラマになるな…コリャ
頑固父さんのぶきっちょな愛みたいな…
資料館にはそんなやりとりが感じられる手紙も展示されているので
是非ご覧ください。
さて、「偉業」ですが…
また明日をお楽しみに。
「越原記念館」のこぼれ話、第4弾をぜひお楽しみください
月~金よる8時/土・日あさ9時スターキャットチャンネルをご覧ください>
<ここまでのブログのあらすじ>
越原記念館は大正から昭和にかけて名古屋で活躍した
越原春子と越原和夫妻ゆかりのものや歴史的資料を展示してる。
番組では資料館を紹介しながら2人偉業にせまる!
さて、今日も春子先生と和(やまと)先生のお話
実は2人は親戚です。
隣村(現在の中津川市)に生まれた和先生は
早稲田大学在学中に春子先生と結婚します。
大正4年には2人で現在の名古屋市東区に女学校を設立します。
春子先生は早くから教育を志しました。
15歳で寺子屋で裁縫の教師となります。
お父様の反対で教師を辞めてしまいますが
独学で勉強を続けます。
この独学というのが「通信教育」なんです!
ここでお見せするお写真はありませんが
是非記念館へお越しください。
当時の通信教育の教科書が残っています。
和先生のお姉さんが名古屋で学校を設立するのに際しては
教師としてお手伝い!
どうしても教師になる夢をあきらめられなかったんですね。
そしてとうとう、自らも学校を設立してしまうんですねぇ。
何か生命力というか
あくなきチャレンジ精神というか
「生きてるなぁ」…って強いものを感じますね!
最初反対していたお父様も
いざ「やる」となると
村から生徒を募って送ったり、
資金面でも力になったりと親の愛を感じさせてくれます。
ドラマになるな…コリャ
頑固父さんのぶきっちょな愛みたいな…
資料館にはそんなやりとりが感じられる手紙も展示されているので
是非ご覧ください。
さて、「偉業」ですが…
また明日をお楽しみに。
「越原記念館」のこぼれ話、第4弾をぜひお楽しみください
2014年01月29日
当時のまま
<スターキャットでは1月28日(火)~2月10日(月)「越原記念館」を放送
月~金よる8時/土・日あさ9時スターキャットチャンネルをご覧ください>
<ここまでのブログのあらすじ>
越原記念館は大正から昭和にかけて名古屋で活躍した
越原春子と越原和夫妻ゆかりのものや歴史的資料を展示してる。
番組では資料館を紹介しながら2人偉業にせまる!
岡田リポーターは春子の生誕地 岐阜県加茂郡東白川村を訪れた。
実はこの建物
春子先生も通ったという尋常小学校だったんです。
現在は普通のお宅として使われています。
こちらの安江さんが伝え聞く当時の様子を教えてくれました。
本当は家の中まで見せていただく予定にはなっておらず、
思いがけず安江さんが見せてくれることになりました
岡田リポーターはもちろん、
ディレクターや遠山先生も興味津々といった態で
「おじゃましまーす」!!
柱や長押は当時のまま!
柱には当時の子どもが落書きで彫ったという跡が
月~金よる8時/土・日あさ9時スターキャットチャンネルをご覧ください>
<ここまでのブログのあらすじ>
越原記念館は大正から昭和にかけて名古屋で活躍した
越原春子と越原和夫妻ゆかりのものや歴史的資料を展示してる。
番組では資料館を紹介しながら2人偉業にせまる!
岡田リポーターは春子の生誕地 岐阜県加茂郡東白川村を訪れた。
実はこの建物
春子先生も通ったという尋常小学校だったんです。
現在は普通のお宅として使われています。
こちらの安江さんが伝え聞く当時の様子を教えてくれました。
本当は家の中まで見せていただく予定にはなっておらず、
思いがけず安江さんが見せてくれることになりました
岡田リポーターはもちろん、
ディレクターや遠山先生も興味津々といった態で
「おじゃましまーす」!!
柱や長押は当時のまま!
柱には当時の子どもが落書きで彫ったという跡が
薄っすら見て取れます。
当時春子先生が学んでいた様子に思いを馳せながら
アマチンさんも尋常小学校だったのかなぁ…
ひょっとして寺子屋?
と想像を膨らませる岡田リポーターでした。
明日は越原記念館の常設展を紹介します。
お楽しみに!!
今回も無責任トーク「越原記念館」のこぼれ話をお楽しみくださいませ~
当時春子先生が学んでいた様子に思いを馳せながら
アマチンさんも尋常小学校だったのかなぁ…
ひょっとして寺子屋?
と想像を膨らませる岡田リポーターでした。
明日は越原記念館の常設展を紹介します。
お楽しみに!!
今回も無責任トーク「越原記念館」のこぼれ話をお楽しみくださいませ~
2014年01月28日
貴重な資料の数々
<スターキャットでは1月28日(火)~2月10日(月)「越原記念館」を放送
月~金よる8時/土・日あさ9時スターキャットチャンネルをご覧ください>
<ここまでのブログのあらすじ>
越原記念館は大正から昭和にかけて名古屋で活躍した
越原春子と越原和夫妻ゆかりのものや歴史的資料を展示してる。
番組では資料館を紹介しながら2人偉業にせまる!
岡田リポーターは春子の生誕地 岐阜県加茂郡東白川村を訪れ
越原家が代々庄屋をしていたことを知った。
案内人の遠山教授が言いました
「400年続いた庄屋ということは?」
凡人には質問の意味すらわかりませんが
「400年前の資料も残っているんです!!」ということなんだそうです。
高校の日本史の授業で習った「宗門人別改帳(昔の戸籍)」や「検地帳」。
キレイな状態で残っていたそうなんです。
これが現在は越原記念館で所蔵され
厳重に管理されているということなんですね。
そりゃそうです。
年号からしますと「慶長」ですよ奥さん!?
黒田官兵衛も活躍した時代です!
毎年秋に開催される越原記念館の企画展などで
見ることが出来るかもしれませんね。
さて、越原家の神社で参拝を済ませた後
(家に神社があること自体スゴイことなんですが)
岡田リポーターと遠山教授は
春子先生の生まれた場所を確認!
舗装もされていない道を進みます。
すると見えてきたのがちょっと大き目の古民家。
実はコレが・・・昔の○○だったんです!!
えっ!? ウソでしょ? マジで!?
また明日。
今日から放送されています「越原記念館」このこぼれ話を番組とあわせてお楽しみください
明日をお楽しみに!
月~金よる8時/土・日あさ9時スターキャットチャンネルをご覧ください>
<ここまでのブログのあらすじ>
越原記念館は大正から昭和にかけて名古屋で活躍した
越原春子と越原和夫妻ゆかりのものや歴史的資料を展示してる。
番組では資料館を紹介しながら2人偉業にせまる!
岡田リポーターは春子の生誕地 岐阜県加茂郡東白川村を訪れ
越原家が代々庄屋をしていたことを知った。
案内人の遠山教授が言いました
「400年続いた庄屋ということは?」
凡人には質問の意味すらわかりませんが
「400年前の資料も残っているんです!!」ということなんだそうです。
高校の日本史の授業で習った「宗門人別改帳(昔の戸籍)」や「検地帳」。
キレイな状態で残っていたそうなんです。
これが現在は越原記念館で所蔵され
厳重に管理されているということなんですね。
そりゃそうです。
年号からしますと「慶長」ですよ奥さん!?
黒田官兵衛も活躍した時代です!
毎年秋に開催される越原記念館の企画展などで
見ることが出来るかもしれませんね。
さて、越原家の神社で参拝を済ませた後
(家に神社があること自体スゴイことなんですが)
岡田リポーターと遠山教授は
春子先生の生まれた場所を確認!
舗装もされていない道を進みます。
すると見えてきたのがちょっと大き目の古民家。
実はコレが・・・昔の○○だったんです!!
えっ!? ウソでしょ? マジで!?
また明日。
今日から放送されています「越原記念館」このこぼれ話を番組とあわせてお楽しみください
明日をお楽しみに!
2014年01月27日
越原家・・・すごい!
<1月1日から1月27日(月)まではこれまでのエピソードをアンコール放送しています。
新エピソードは1月28日(火)よる8時から「越原記念館」を紹介します。>
今日27日(月)はおひる12時から「内藤記念くすり博物館」
よる8時からは「齊藤コーヒー」を放送します。
さて、昨日からは明日28日(火)よる8時から放送の
新エピソード「越原学園」について紹介しています。
大正から昭和に名古屋で活躍した偉人
「越原 春子」の生誕地 岐阜県加茂郡東白河町
新エピソードは1月28日(火)よる8時から「越原記念館」を紹介します。>
今日27日(月)はおひる12時から「内藤記念くすり博物館」
よる8時からは「齊藤コーヒー」を放送します。
さて、昨日からは明日28日(火)よる8時から放送の
新エピソード「越原学園」について紹介しています。
大正から昭和に名古屋で活躍した偉人
「越原 春子」の生誕地 岐阜県加茂郡東白河町
に到着した岡田リポーター。
最初は車で2時間・次第に寒くなる環境にボヤいていたのに、
圧倒的な自然を目前にテンション(↑)
案内人は
名古屋女子大学の短期大学部長で歴史学の教授
遠山佳冶さん。
寒さもあり男2人肩寄せ合ってのリポートとなりました。
実はここの住所は「岐阜県加茂郡東白河町越原村」といいます。
春子先生の苗字は「越原(こしはら)」
地名は「越原(おっぱら)」と読むそうです。
これは一体?
そんな素朴な質問に遠山先生がやさしく教えてくれました
ここで生まれ育った春子先生の苗字は
そもそも「おっぱら」だったということです!
「おっぱら 春子」だったのです。
名古屋に出てきたときに
「越原」という苗字をなかなか「おっぱら」と読んでもらえなくて
とうとう「こしはら」に変えてしまったということなんだそうです。
でも地名が苗字になるということは…
そう!!越原家はこの村の
代々の庄屋さんだったのです。
江戸のはじめから幕末まで庄屋を務めきる例は
意外と少ないそうで立派な家柄だったようです。
だからこそここには大変な○○があるんです!!
それはまた明日のお楽しみに!
今日からは「越原記念館」で収録後に撮影した
こぼれ話を紹介します。
明日をお楽しみに!!
最初は車で2時間・次第に寒くなる環境にボヤいていたのに、
圧倒的な自然を目前にテンション(↑)
案内人は
名古屋女子大学の短期大学部長で歴史学の教授
遠山佳冶さん。
寒さもあり男2人肩寄せ合ってのリポートとなりました。
実はここの住所は「岐阜県加茂郡東白河町越原村」といいます。
春子先生の苗字は「越原(こしはら)」
地名は「越原(おっぱら)」と読むそうです。
これは一体?
そんな素朴な質問に遠山先生がやさしく教えてくれました
ここで生まれ育った春子先生の苗字は
そもそも「おっぱら」だったということです!
「おっぱら 春子」だったのです。
名古屋に出てきたときに
「越原」という苗字をなかなか「おっぱら」と読んでもらえなくて
とうとう「こしはら」に変えてしまったということなんだそうです。
でも地名が苗字になるということは…
そう!!越原家はこの村の
代々の庄屋さんだったのです。
江戸のはじめから幕末まで庄屋を務めきる例は
意外と少ないそうで立派な家柄だったようです。
だからこそここには大変な○○があるんです!!
それはまた明日のお楽しみに!
今日からは「越原記念館」で収録後に撮影した
こぼれ話を紹介します。
明日をお楽しみに!!